2ntブログ

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

音楽だけがブルースじゃない。

2010年01月31日 20:51

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。

あー、先日、母方の祖母が亡くなりました。

僕ぁ、諸々ありまして、父方の祖母が育ての親みてーなもんです。

んで、諸々の中に、僕ぁ父方の従兄妹やらから疎まれて育ちました。その親である叔母らからは祝福されて生まれてこなかったと思います。てか、実際そーなんです。

僕が生まれたことを、一番喜んでくれたのは両親で、同じくらい祝福してくれたのが母方の祖母です。

「祝福してくれた人がいる」という事実は、「もう、こんなんやめようぜ」と死にたくなっても「俺って幸せだよな」っつー想いが湧いてきます。

よく、「プラス思考ですね」みてーなこと言われるんですが、性格は人生後ろ向きです。「俺って幸せだよな」が心の、誰にも触れるこたぁできねー領域にあるだけです。僕ぁ人を滅多に信用しねー嫌な奴なんです。国境跨れてたまるかみてーな。



 最初に電話で訃報を耳にしたときは、ピンと来ませんでした。

父方の祖母が亡くなったときも、何年も寝たきりで問いかけに応じなかったんで諦めてたんですが、実際直面してみると悲しさが一気に湧いてきました。

僕が生まれたことを祝福してくれたしとが亡くなったのに、漠然と「そうかあ、とうとう」と思う自分に対し「俺ってこんな薄情だったっけか?」と感じ、帰省するかどうかしばし考えました。

父方の祖母が亡くなったときは帰省している最中のことでしたんで、最期のお別れができたことにある意味感謝しました。

しかし、昨今の平均所得より下な僕ぁ、航空券や諸経費で十万も捻出する余裕なんかねーです。無理して帰省しても、また体調が優れねー親父どんになんかあったときにすぐ動ける状態になれんです。

結局、僕ぁ弔電と花を選びました。



 抗癌剤の副作用で寝込んでた親父どんの代わりに、父方の祖母の喪主をつとめたときもそーだったんですが、厳粛なもんでも凝り固まったこたぁ嫌いです。

いや、おちゃらけるって意味じゃねーですよ。決まりきった文言とかが嫌なんです。

僕ぁ、おそらく参列したしとにゃ通じねー箇所もある、語りかけるよーな弔電を打ちました。通じねー箇所っつーのは、僕が帰省すると必ず母方の祖母と交わしていた会話の一言目です。

上っ面のマナーがどうした?大事なもんはもっと他にあるだろうが?と思ってますんで。

弔電を打ち、母方の実家に電話をしました。

そしたらですね、告別式に備えて慌ただしい雰囲気が伝わってきました。叔父と話したら一気に涙が溢れてきまして、お袋どんに電話を代わってもらい、弔電を打った旨伝えよーとしたらまともに話せねーっつー。



 電話を切った僕ぁ、いい歳こいて声をあげて泣きじゃくり、「ちくしょう!」とか「クソッ!クソッ!」とか喚いちまいました。

人の死に直面するこたぁこれからも何度もあるでしょーが、大事な人の死に顔も見れらず、語りかけることもできない事実に後悔しまくりました。

自分でもびっくりするくらい取り乱しまして、酒を飲んでなんとか落ち着いてから、訃報の電話がくる直前に見終わった『ブラック・レイン』について昨日の記事として書きました。

その後もタイプしては消し、タイプしては消し、酒を飲みながら書いて書いて書きまくりました。記憶に残ってる時間は深夜二時過ぎだったはずです。

翌朝、酔いが残ってる状態で起床し、出勤する電車の中で思いました。

「ブルースを歌う気持ちがなんとなくわかるな」と。それが僕の場合、文章を書くことなんだと思いました。

昨夜、繰り返し書いては消した文章の内容は殆ど覚えてません。ただ、そうしていないとまた泣きじゃくるんじゃないかと怖くなってタイプし続けました。

中島らもは、「俺は葬儀には参列しない。参列すると本当のお別れで二度と会えないことを実感するからだ」みてーなことを生前書いてましたが、僕ぁ、大事な人であればあるこそ最期のお別れとしてー人間です。

母方の祖父は若くに亡くなり、それ故か祖母の教育の賜物か、はたまた武家をルーツに持つ血筋だからか、親族の団結力は強いです。その最近じゃあ、あってねーよーなもんを結んだ人がいなくなってしまったか、と。

心配なのは、祖母にとって一人だけだった娘故、気にかけていたお袋どんが祖母を失って体調を崩さないかですね。



QLOOKアクセス解析