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Does Humor Belong In Music?

2011年02月27日 23:42

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、フランク・ザッパっつーしとは何気に名言が多いです。
「自由になりたきゃ、まずパンツを脱げ」っつーダイレクトに捉えるとバカですが、パンツを脱ぐっつー行為がもたらすもんを考えさせられます。
別にパンツじゃなくてもいいんです。ただ、「パンツ」を「脱ぐ」っつーのがインパクトあります。
かと思えば「共産主義国家のことごとくが失敗したのは所有欲を奪ったからだ。現在(二十世紀後半。)民主主義が最良とされているが、実は実現できていない。理屈に近い社会なだけだ」っつー鋭い発言もあります。
じゃあ、どーしろっつーと、「世の中を変えたきゃ選挙に行け」
こりも鋭いです。
政経のお話は苦手なんで、ここらで切り上げますが。

 今日のお題である「音楽にユーモアは必要か?」。
同タイトルで消去したアカウントで記事を書いたことがありますが、内容は別です。
1984年のライブを収めたDVD、音源が異なるCDにつけられたタイトルでもあります。
宿題を出されたので一考する次第です。(サイト開設時の記事用に、そのうち体系づけたものを書きたいが。)
ひじょーに難しいテーマです。

 まず、ハプニングの裏に神算有りはオッケーです。下手くそだけどテキトーにやってみましたはダミです。
同じタイミングで再現出来なくても、聴いてる側を楽しませる技量があればええんですが、偶然の産物を繰り返して全く再現できないんじゃ意味ねーです。
んなわけで、まだ頭ん中は整理できてねーですが、いくつか音楽に潜むユーモアの系譜をば。


【温故知新型】
 コミックソングっつーくくりがありますが、実はこり、根底にトラッドなもんがあります。
つまり、音楽に造詣が深く、巧く(テクニックのことではない。)なけりゃ作れねーです。
んで、最近、しょっちゅー触れて申し訳ねーんですが、ロリー・ギャラガー。
別に彼に執着しなくても、古典的なブルースって、日本で言えば童謡や民謡に似てるよな、と。
よく歌詞を味わうと怖かったり笑えたりする市井の歌と、欧米コンプレックスから「ブルースってカッケー」と思うしとは多いものの共通点があります。
ケッコー笑える歌詞が多いんですよね。

 ロリー・ギャラガーの曲でGoin' To My Hometownっつー曲があります。
この曲は彼と弟、そして母親を捨てて故郷に帰った父親について歌ったっつー説があります。てか、間違いねーと思います。
1972年発表の『ライブ・イン・ヨーロッパ』にて初出で、どーもライブ限定の曲だったみてーです。

 何がユニークかって、この曲になるとロリー・ギャラガーはギターからマンドリンに持ち替えるんですよ。
僕ぁマンドリンを所有したこたぁねーですが、他の弦楽器に比べると音の伸びが短ぇです。
元はヨーロッパからアメリカへの移民が伝え、ブルースやブルー・グラスの演奏における脇役的な存在です。
ギターがいる以上、常にストロークやトリルしなきゃならんマンドリンは脇役なわけです。
が、彼はこりを激しく弾きまくる。しかも、ギターと同じよーにフレーズも弾くっつー抜群のリズム感。
んで、演奏にドラムやらが参加しだすとトラッドでアーシーなノリになるんですが、歌い出しが面白い。

「ママが台所でパイを焼いてる!パパは裏庭で職に就けと言ってる!」


と、ロックンロールのノリでがなりたててからマンドリンを掻き鳴らします。
んで、ママとパパがいるとこはどこ?っつーと、当たり前ですが実家なわけです。
ロックンロールな出だしなら、フツーはギターなのにマンドリンってとこがおもれーです。

 歌の主人公は、自動車会社フォードに勤務してましたが、ヘマしてクビちょんぱされたよーです。(ヘンリー・フォードの父親はアイルランドのロリー・ギャラガーが少年時代を過ごしたコーク出身らしく、閉鎖したもののフォード社の工場があった。)
んで、落ち込んだ「俺」は故郷に帰ることにします。
しかし、これがすげー薄情な言い訳や主張ばかり。
「君を本当に愛しているんだ」と言いつつ「わかってると思うが、切符は一枚。二枚無いんだ」と。
更に「一年したら戻ってくるよ。多分...もしかすると戻ってこないかもと。
サイテーですね。

 ロリー・ギャラガーは父親がコークから去ったことにより、女手一つで二人の子供を育てられるわけもなく、少年時代まで兄弟はカトリックの施設で教育を受けることになりました。
この時期に当時禁じられていたロックンロールを研究し、16歳でプロ活動する基盤を築いたよーです。
フツーなら、「父ちゃん、なんで捨てたんだ!」と怒ったり、「どうしていなくなったの?」とバラードになるのに、テメーが父親になりきってがなって歌って弾いてっつー。
笑っちゃいけねーですが、歌詞や曲調から自虐じゃなく民間伝承的なもんに思えます。
こりも一つのユーモアだな、と。
あと、よくエレクトリック・ピアノの鍵盤を壊すっつーこって、グランドorアップライトのピアノの使用及び調律を出演条件に入れてたそーですが、ルー・マーティンのピアノがヤバイっつー。
おそらく、ホンキー・トンク・ピアノのニュアンスを出したくてこーしいてると思うんですが、そら鍵盤壊れるよっつー。
ここらへんも笑いに繋がります。
んなわけで、観て聴いてみましょー。

<Rory Gallagher - Goin' To My Home Town >



【タブーの裏に高度な演奏と作曲】
 禁じられたことを口にするのは簡単です。
「王様は裸だ!」とか「ロバの耳ぃ!」とか色々。
が、タブー視されとることをテーマにするとリスクがでけぇです。
そーゆーのに挑戦して叩かれるしとらは「新鋭アート集団」とかえばりますが。
マイノリティを単純に差別したり、所謂「いじって」笑わせるっつー行為をリスキーながら簡単に笑って貰えると思っとるしとが多いと思います。
フランク・ザッパは色んな分野で恨みをかっとります。
カトリックの女性や小金持ちな地域の娘のバカなとこをテーマにしたり、フランスで嫌な思いをしたからといってフランス人に対して悪態つく曲を作ったりします。
そりだけならたんなる「毒舌が売りなミュージシャン」ですが、業界大手であるワーナー・ブラザーズを映画やらでことある毎に批判しとります。
その代わり、喧嘩売るよーな曲はひじょーに練られてます。
あと、冒頭で触れました政治的な発言についても、「理想だけじゃ駄目なんだよ」とペレストロイカ以降、自立できねー東欧諸国のコンサルティングを行う法人も立ち上げた上でです。

 曲自体は1982年発表ですが、下記に紹介する1984年のライブの頃、HIVウィルスが世界的に話題になり、感染するのはゲイ・セクシャルだっつー偏見が広まった頃です。(実際、感染確立は高い。)
んで、高確率で「センシティヴな時期に無神経」とか「差別すんな!」と非難されるのに演奏して映像作品として発表しちゃうっつー。
当時、ゲイ・セクシャル以外で「差別はよくない!」とか言ってたしとは、実のとこ本音じゃなかったと思われ、そこをついて「彼はとってもゲイ!とってもとってもゲイ!」と演奏した作品を今でも再発しとるのはすげーな、と。
因みに、このライブはVHSとLDで国内盤も出たんですが、上述のよーなことを配慮してか日本語表記は「彼はとってもガイ」です。なんでも、歌詞がテロップとして表示されてたそーですが、題名だけは「ゲイ」じゃなく「ガイ」と。
ただ、曲はポップで親しみやすいです。当時ゲイ=○○と思われとったグループやサウンドを模倣した優れた曲だと思います。
「バカにするならバカにする輩より良い曲」っつーとこに、上述のよーに単なる弱い者虐めじゃねーと思えます。
(下はスタジオ版。映像作品『Does Humor Belong In Music?』収録のライブは、この曲のみ何故かレコード会社がガチガチに検閲している模様。)

<Frank Zappa - 彼はとってもゲイ>



【ミュージカル的に感動ではなく笑いを誘う】

 以前、「音楽におけるスカム・フィクション」として、デヴィン・タウンゼンドがメロコア・パンクのブームに「こんなの俺が聴いて育ったパンクじゃねえ!なんならいかに簡単かやってやるよ」と二週間で完成させた『史上最高の偽物パンク』を紹介したことがあります。

 今更聴いても「ああ、こんなブームあったね」と回顧されるか「パンキッシュなハードロック」と解釈されるかですが、シナリオはミュージカル的で優れとると思います。

 元々はデスメタル・バンド、クリプティック・コーナーがギターの弦が切れるっつーアクシデントをきっかけにパンキー・ブリュースターっつー柔なパンク・バンドに生まれ変わり成功するお話です。
が、グラミー賞ならぬグラニー賞にノミネートされ、見事に受賞した彼らは記念にバラードを歌います。
ま、「鏡に写った俺、カッケー」みてーなどこまでもバカな内容ですが。
んで、曲が終わり拍手が起こると、今までの鬱憤が爆発してデスメタルを演奏してお終いっつー。

 この手の手法っつーのは映画『ロッキー・ホラー・ショウ』や『トミー』みてーに映像も伴わなきゃダミなイメージがありますが、音だけで(俺のように英語が駄目だと翻訳付きの国内盤必須。)楽しませるのは滅多にできねーと思うんですよね。

<Punky Bruster - Picture Of Myself>


 まだまだ書きたりねーですが、記事のタイトルについて考えると色々あったり、思い出すわけです。
ちょっと私信的な流れになりますが、「今ならどうか?」ですが、やはり泣かせるより笑わせる方が遙かに困難です。
ただ、過去に親交がありつつ「応援したいけどさ、つまんねーよオマエら」なTVやラジオに出とる芸人もおり、お互い落ち着きましたら、参加者を集めて会議を開きたいところです。
その前に檄文を飛ばさなきゃなりませんが。

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