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映画『ゴッド・ファーザー』が好きな理由。

2010年06月28日 15:10

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。

あー、大昔、どっかのTV局で映画『ゴッド・ファーザー』をノーカット、しかもシリーズ全部一挙放送をやった記憶があります。全部で八時間くらい?凄いですよね。

で、思うことあり、昨夜は、いくつかある僕が「何回観たか忘れた」な『ゴッド・ファーザー』の1と2を、仕事から帰宅してぶっ続けで深夜まで観ました。



 作品については今更語る必要はねーですが、いや、やっぱ『地獄の黙示録』あたりまでのコッポラってハンパねーなっつー。

で、この映画が好きな理由っつーのは、いくらヤンキーの国出身とはいえ、マフィア映画が好きだからってもんじゃねーです。まあ、SFとかよりマフィアもんや邦画でも任侠もんのが好きな傾向がありますが。

マフィア映画は色々ありますが、『ゴッド・ファーザー』のテーマの一つは「ファミリー」に重点を置いてるとこが何度も観ちまう点です。

「ファミリー」は血族だけじゃなく、所謂杯交わしたものも含むんですが、マーロン・ブランドが演じるヴィト・コルレオーネは血族を非常に大事にします。

こり、日本でも戦後に家族が団結しねーとやってけねー家と似てます。てか、僕ん家がそうです。



 一昨日、夢を見ました。

「ライフ・ワークをやらずに何年経った?」みてーなことを、誰か覚えてねーですが、女性に説教される内容です。

で、そのライフ・ワークは、僕の父方のルーツを探れるだけ探って、事実をアレンジして小説にしてみることです。

先日帰省した際、既に親父どん以外知らないことを出来るだけ聞いてきました。

まず、今の富山県から渡って来てからの空白の時間はわからんのですが、祖父の母にあたる曾祖母が25歳の若さで亡くなり、曾祖父は祖父を捨て、現在の北方領土に一山当てに行ったそうです。

部類の博打好きで、漁期は博打に明け暮れ、冬になると映画『地の涯てに生きるもの』で、森重久彌が演じた番人さんのよーな仕事をし、そーすると漁場の一部を貰えたんだそーです。で、博打で稼いだ金で漁師を雇い稼いだよーです。

ほいだら、第二次世界大戦勃発、終戦。現ロシア領になっちまったんでアホ面下げて戻ってきたそーです。



 当時の曾祖母を知る人が口を揃えて言っていたことは「真っ黒な長い髪で南蛮人形みたいな美人だった」で、どーもこれが父方の親族によく見られるイタリアちっくな彫りの深さに影響したのかな、と。僕ぁ似ませんでしたが。残念。

で、身よりの亡くなった祖父は、曾祖父の弟のところへ養子に出され、戸籍上は養子ながら、そっから別の家に預けられました。

その家の娘の一人が祖母で、結婚からほどなくして戦争勃発。

小学校の卒業すら経歴にない上、喘息持ちだった祖父は戦地で勲功をあげ高く評価されたそーです。特に射撃とゲリラ戦が得意だったらしく、おそらく正規じゃねーでしょーが、中野陸軍軍事学校で銃剣道とか教えてたそーです。

で、本土決戦の気運が高まる中、ゲリラ戦が得意だった祖父は所謂暗殺部隊に組み込まれ沖縄へ向けて送り出されたそーです。

幸い、目的地までの途上、四国にて終戦を知り帰ってきたそーですが、退役金っつーんすか?それで三輪トラック一台にてんこ盛りの札束と、もう一台に荷物やらを積んで帰ってきたそーです。



 祖父がやったことは、無利子の金貸しやらで、後は漁師として上の息子二人、僕の親父どんとその弟に働かせるだけ働かせるっつーもんです。

そんな中、アホ面下げて帰ってきた曾祖父を誰も許すわけもなく、山の上に家を建てて住まわせたそーです。

ただ、亡くなった際、周囲は必死に止めたそーですが、一番憎んでるはずの祖父は我が家の墓に骨を納骨したそーです。

ガキの頃の親父どんを真冬は二月の海に投げ込んだり、部類の女好きだったりする反面、戦地で覚えた漢詩や古典に造詣が深かったり、本州に働きにいっても函館に着くと親父どんが酒かっくらってるのに掛け蕎麦一杯しか食わなかったり、不思議なしとです。



 漁師だけじゃ稼げる金も知れてたんで、土建屋稼業にも手を出すよーになりました。

当時、横田基地建設の際、今みてーに談合があったかどーか知りませんが、ある組の親方が、米軍に「金はいらんから、重機くれ」と提示しました。

今じゃ珍しくねーですが、当時、工作車両を持ってる土建屋なんかいなかったわけで、その親方はすげーな、と。

で、祖父の男気を気に入った親方は、杯を交わすようせまりました。

んなわけで、僕んちには、僕が生まれたときにその親方から祝いの品にもらった日本で二本しかねー木が一本あります。もう一本はその親方の一族が大事にしとるはずです。



 祖父は男惚れするタイプの人物だったよーですが、金は稼げと増やすことに執心しませんでした。

んで、僕の親父どんも似たタイプで、その弟にあたる叔父は「これからは株をやったり、貯蓄する時代だ」と正反対でした。

そんなクレバーな一面に感心した親父どんは「お前は都会に行け。資源のない田舎で漁師をしていても先が見えている」と言ったそーです。

が、まだお魚さんやら昆布やらで稼げる時代だったんで、「家の財産を独り占めか!」と諍いが起きました。これ、今でもです。親父どんが死んでもおかしくねー状況でも、見舞金と一緒に嫌みや小馬鹿にした一言くれますから。



 掘っ立て小屋に雑魚寝してたビンボー人が金持つとろくなこたぁねーです。

テメーらが辛酸舐めてきたから、祖父と祖母は戦後生まれの子供らにわがまま一杯させました。

その時はよかったんでしょーが、元ビンボー人がわがままさせたもんだから、子供らは大人になってから、ろくでもねー男に騙されたり浪費癖がなおらず借金まみれになりました。

それが明るみになり、「なに、担保はいくらでもある。融資で帳消しにしよう」と思ったら、担保が全部無くなってたっつー。おかげさまで、お嬢様育ちだったお袋どんは心身を病み、入退院を繰り返すよーにないました。

親父どんと叔父はそれを肩代わりして収束させましたが、時代はバブル期。僕ぁ他所ん家のガキみてーに海外旅行だ高価な電化製品だのとは無縁な少年時代でした。



 我が家のしきたりでしたが、盆と正月になると親族が一堂に会し、料理上手だった祖母と板前だった叔父の一人の料理で賑わいました。

正月が終わると、親父どんの組(土建業の。)の若い衆らが挨拶を兼ねてどんちゃん騒ぎです。

が、バブルが弾けてから、土木・建築関係の工賃が一気に下がりました。

その影響を受けて、親父どんが後継者と見込んでたしとが若いのを連れて去って行きました。

「土方の別れは棒別れ」と申しまして、いくら恩義があろーが、別れるときは恨みっこなしです。なぜなら、己の技を売りに肉体を消耗させる使い捨てですから、家族のためにそういったことしてるしとが離れても恨みっこなしっつー。

ただ、「俺が組長に土下座して堅気に戻してやったのに、あそこまでやるか」と一度愚痴ってましたが。

残ったのは、生え抜きの職人さんだけで、それも一人、一人とビョーキで亡くなっていきました。



 実家にもはや財産はないから親族も寄ってこなくなった、最後まで裏切らなかった職人さんも亡くなっていく、そんな中でも親父どんが食道癌にかかりました。

手術は無事成功し、今年で七年目です。つまり、根治したってことです。

ただ、元々薬物に弱い体質の親父どんに術後の抗ガン剤投与を了承させたことは後悔してます。

免疫力の低下だけならええんですが、造血する機能も低下しとりまして、かなりいい増血剤を打ってるんですが、やはり追いつかないらしく、半年前に輸血したばかりなのに平均値の三分の一をどーしても越えられないっつーんで先日また入院しました。(安易に輸血を繰り返すと腎臓への負担が激しい。)

僕ぁ、前述のよーな出来事から、金や人をほとんど信用しねー大人になりました。

ただ、「家族とは何か?助け合うことだ。最後は家族だけだ」っつー親父どんの信念が偽りじゃなかったと思わせて一生を終えさせてーです。

たまに帰省しますが、実家の修繕とかが主な目的じゃねーです。顔見せて、一緒に酒飲んで思い通りに動かねえ体からくるストレスを発散させてあげることができればと思って帰省してます。



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