2009年01月21日 22:27
こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
僕が「ハンキー・ドリー・ハンク」っつー名称を使うと、音楽ファンとかバンドさんに「ムカッ!」とされることがあります。
デイヴィッド・ボウイの『ハンキー・ドリー』からきてると思われるからです。
いや、僕がボウイ似の二枚目だったらんなこたねーんですが。
こりはですね、昔、僕のことを「やあ、ハンキー・ハンクさん」と呼んだしとがいてですね、更にプロレスが好きな僕ぁ、語呂合わせにドリー・ファンク・ジュニアの「ドリー」を持ってきて名乗るよーになったのです。
なので、ローマ字綴りはボウイのアルバムと少し変えてます。
てか、大体、ハンキー・ドリーって「ごっきげん!」ってニュアンスの意味があるんですが。
何故か唐突にデイヴィッド・ボウイの話題。これにはワケがあるのです。ワケ。(いや、大したことじゃない。)
あー、一昨日、ギ装置R
と飲みに行きました。
先日「遅い新年会でも」とメールが来まして、「当社における今後の展望を語らう」と称したオッサンの飲み会みてーなもんだなと思ってたら、薄壁挟んで隣にホントにそんな輩がいたという。
んなわけで、僕とっても不機嫌。
不機嫌なんですが、「楽して痩せるプロジェクト」が軌道に乗ってからの悩みがありまして、アホみてーに飲んで食っちゃうんです。
これ、冷え性で多分内蔵の血行がよろしくねー僕が運動し始めて消化器官がちゃんと機能しだしたからだと思います。(手足とか末端は未だに冷え性だが。)
なしてそー思うかっつーと、禁煙したときと感覚が似てるからです。
禁煙(てか、喫煙中断か。)したときの、体の中心から活力が湧いて体温が上がった感覚と食欲爆発が冷え性の僕には劇的だったので、体がよく覚えてるんです。違いは太るか太らねーかですかね。テケトーですが、今は太りにくい体作り(お飯事レベルの筋トレと有酸素運動とかな。)と食生活考えてますんで。
んなわけで、「あんま飲まないよーにしよう。食わないよーにしよう」と思いまして、当日は運動を控えて食欲が爆発しねーようにしました。
めたくそ飲み食いしました。
どんだけ食ったかっつーと、ギ装置Rに「バキューム状態」と喩えられるくらい。
皮肉なことに、運動不足で不摂生だった頃はサラダを二人でつついて僕が揚げ物や串焼きを二品くれーつまんで、ただただ酒飲むっつーのが僕らの飲みだったのです。
でも、自動的に「これは高カロリーだが栄養価が高いから良し。こっちはカロリーと脂質ばっかだからいかん」とか考えるよーになったのはある意味怖ぇーです。
その日、貞操帯のごとく食い過ぎ防止にウェストが一番細いパンツ履いてったんですがねぇ。
男女問わず、飲みに行って会話が弾んだり無意味に楽しい友達は少ねーんですが、今回はちょっと寂しげな飲みでした。
原因の一つは、前日に筋トレしてばて気味でどーも日曜あたりに職場で風邪もらったらしく怠かったり、奇遇にもギ装置Rがブログに書いてた「ただただ時間だけが過ぎゆく感じ」っつー感覚を昨年末から感じてるからでしょーか。
寒くて頻度は減りましたが、ジョギングするのはそれを紛らわす気持ちもあるのかな、と。
5km以上のジョグなら心身共に走るのに集中しますから。
抑鬱とは違うんすよね。何かを待ってる感覚です。
も一つ原因がありまして、冒頭のオッサンの飲み会です。
詳細は書きませんが、一歩間違うとネット上で話題にされちゃうよーな業界と思わしき会社のしと達が、多分そーいった業界でも中小企業レベルなんでしょーが「おい、東スポの座談会記事みてーにイニシャルで言えよ!」と思っちゃうよーな固有名詞出して大声で会話してました。
そんだけならまだえーです。
最年長と思わしきしとが、『仁義なき戦い』ちっくな言葉で仲間を恫喝したりですね、店員のネーチャンつかまえて語ったり名刺渡したりしてですね、ただでさえ盛り上がりにかけてるっちゅーのに、大声で一体オマエらなんなんだ!?と。
とはいえ、僕ぁ取っ組み合いになりそーな雰囲気の流れになると止めに入りつつ、一番うるせーオッサンを引き留めるふりして裸締めでもしてやろーかとスタンバイしておりました。
ただ、ギ装置Rが「この人たち、いつもこんな感じでヤバそうなとこで別の話題に移ってなんもない感じなんだよ」と言っとりましたが、正確には年長さんの酒乱的性格に他のしとが付き合ってるっつー感じでしょーか。
現に、僕ぁ二度ほど聞こえるよーに言ったら一分くらいおとなしくなりましから。
一回目は「オマエら、もう来んな」。二回目は店員さんに「月に一回は来るから」と名刺を渡したときに「毎日来い。毎日来てやれ」と言いました。
あー、そこの店の店員が、店を特定されるような文体で客のことどーたらこーたら書いたら問題でしょーが、同じ客としてですね、今は金出しゃ万事オーケーじゃねんだよっつー。
お話変わるんですが、僕の好きな格闘家、イマナーこと今成正和
が、勝った試合後の撮影でオメコ・サインをしとりまして、でも、それは地上波TVで放送される興行じゃできねーそーです。オメコの話なのにおケツの穴が小せー話ですね。
んなわけで、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」っつーのと同じで、オメコ・サインがタブー視される風潮を変えようと、お疲れ気味なギ装置Rにオメコ・サインをしてもらいました。ピース・サインを世に広めるよーなもんです。ええ。(意図が、こう、なんか違うんだよなぁ。)
翌日、「ああ、これ風邪もらったな」と思ってたのが表面に出てきました。
お陰様で二日ほど寝込んだわけなんですが、こーゆー時に本を読むことにしてます。以前「年に一、二冊しか本は読まない」と書いてたのはそーゆー意味です。
因みに、去年は未読だった『フランク・ザッパ自伝(新訳版)』を読みました。
今年は購入して放置状態なのがなかったんで、大昔読んだのを引っ張り出しました。
ジョージ・オーウェルの『1984年』です。
小中学生時代に触れてれば、SFっつーのもハードボイルドものに散文詩的な魅力を感じるよーに発想とか展開を楽しむ感性が身についたんでしょーが、僕がSF小説に触れたのはカウンター・カルチャーに被れた二十歳前後です。
なので、読んだことがある作家はフィリップ・K・ディック、ジェームス・バラード、ジョージ・オールウェルくれーです。(後期ウィリアム・バロウズや一時のコリン・ウィルソンも含まれるかもしれないが。)
『1984年』を読むきっかけになったのは、デイヴィッド・ボウイやテリー・ギリアムが作品のモチーフにしてたからです。ありがちですね。
でも、書物って不思議ですねぇ。理解できねーまま読んでた頃はステータス的なもんでしたが、漠然と読み直すと印象が違ったりします。
『1984年』を読んだ十数年前は、テリー伊藤や石丸元章がかの国を面白おかしく書いた本が出版されて、しょーぐん様のステッカーとかが、おされアイテムでしたから。
いや、蓋を開けたら「昔のロシアをモデルにしたんでしょ?今時ねーよ、こんな話」とか思ってたら今でもあったっつー。
いや、他にも色々唸るとこはあるんですが。
んで、『1984年』をモチーフにしたアーティスト・作品っつーと、音楽ファンの僕だとデイヴィッド・ボウイの『ダイヤモンドの犬』が身近でして、デイヴィッド・ボウイを色々聴き返してます。
彼の熱心なファンじゃなくても、『世界を売った男』や『ハンキー・ドリー』、『ピンナップス』はジャケ買いっつーか、ジャケットが話題になったんで『ジギー・スターダスト』か『レッツ・ダンス』の次くらいに買っちゃうアルバムだなぁ、と。
そら『ハンキー・ドリー』のジャケをすり込まれて「こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです」って目にしたり耳にすると反感おぼえるわなっつー。
因みに僕ぁ『ジギー・スターダスト』の次に、ブライアン・イーノがプロデュースでバロウズの影響やらがどうたらっつーことで『1.アウトサイド』を買って「い、一体このしとはどうやってここまで別人ちっくなアルバム作るまでになったのよ!?」と思い、反面「金返せ!」くれー思ったクチです。
僕が「ハンキー・ドリー・ハンク」っつー名称を使うと、音楽ファンとかバンドさんに「ムカッ!」とされることがあります。
デイヴィッド・ボウイの『ハンキー・ドリー』からきてると思われるからです。
いや、僕がボウイ似の二枚目だったらんなこたねーんですが。
こりはですね、昔、僕のことを「やあ、ハンキー・ハンクさん」と呼んだしとがいてですね、更にプロレスが好きな僕ぁ、語呂合わせにドリー・ファンク・ジュニアの「ドリー」を持ってきて名乗るよーになったのです。
なので、ローマ字綴りはボウイのアルバムと少し変えてます。
てか、大体、ハンキー・ドリーって「ごっきげん!」ってニュアンスの意味があるんですが。
何故か唐突にデイヴィッド・ボウイの話題。これにはワケがあるのです。ワケ。(いや、大したことじゃない。)
あー、一昨日、ギ装置R
と飲みに行きました。
先日「遅い新年会でも」とメールが来まして、「当社における今後の展望を語らう」と称したオッサンの飲み会みてーなもんだなと思ってたら、薄壁挟んで隣にホントにそんな輩がいたという。
んなわけで、僕とっても不機嫌。
不機嫌なんですが、「楽して痩せるプロジェクト」が軌道に乗ってからの悩みがありまして、アホみてーに飲んで食っちゃうんです。
これ、冷え性で多分内蔵の血行がよろしくねー僕が運動し始めて消化器官がちゃんと機能しだしたからだと思います。(手足とか末端は未だに冷え性だが。)
なしてそー思うかっつーと、禁煙したときと感覚が似てるからです。
禁煙(てか、喫煙中断か。)したときの、体の中心から活力が湧いて体温が上がった感覚と食欲爆発が冷え性の僕には劇的だったので、体がよく覚えてるんです。違いは太るか太らねーかですかね。テケトーですが、今は太りにくい体作り(お飯事レベルの筋トレと有酸素運動とかな。)と食生活考えてますんで。
んなわけで、「あんま飲まないよーにしよう。食わないよーにしよう」と思いまして、当日は運動を控えて食欲が爆発しねーようにしました。
めたくそ飲み食いしました。
どんだけ食ったかっつーと、ギ装置Rに「バキューム状態」と喩えられるくらい。
皮肉なことに、運動不足で不摂生だった頃はサラダを二人でつついて僕が揚げ物や串焼きを二品くれーつまんで、ただただ酒飲むっつーのが僕らの飲みだったのです。
でも、自動的に「これは高カロリーだが栄養価が高いから良し。こっちはカロリーと脂質ばっかだからいかん」とか考えるよーになったのはある意味怖ぇーです。
その日、貞操帯のごとく食い過ぎ防止にウェストが一番細いパンツ履いてったんですがねぇ。
男女問わず、飲みに行って会話が弾んだり無意味に楽しい友達は少ねーんですが、今回はちょっと寂しげな飲みでした。
原因の一つは、前日に筋トレしてばて気味でどーも日曜あたりに職場で風邪もらったらしく怠かったり、奇遇にもギ装置Rがブログに書いてた「ただただ時間だけが過ぎゆく感じ」っつー感覚を昨年末から感じてるからでしょーか。
寒くて頻度は減りましたが、ジョギングするのはそれを紛らわす気持ちもあるのかな、と。
5km以上のジョグなら心身共に走るのに集中しますから。
抑鬱とは違うんすよね。何かを待ってる感覚です。
も一つ原因がありまして、冒頭のオッサンの飲み会です。
詳細は書きませんが、一歩間違うとネット上で話題にされちゃうよーな業界と思わしき会社のしと達が、多分そーいった業界でも中小企業レベルなんでしょーが「おい、東スポの座談会記事みてーにイニシャルで言えよ!」と思っちゃうよーな固有名詞出して大声で会話してました。
そんだけならまだえーです。
最年長と思わしきしとが、『仁義なき戦い』ちっくな言葉で仲間を恫喝したりですね、店員のネーチャンつかまえて語ったり名刺渡したりしてですね、ただでさえ盛り上がりにかけてるっちゅーのに、大声で一体オマエらなんなんだ!?と。
とはいえ、僕ぁ取っ組み合いになりそーな雰囲気の流れになると止めに入りつつ、一番うるせーオッサンを引き留めるふりして裸締めでもしてやろーかとスタンバイしておりました。
ただ、ギ装置Rが「この人たち、いつもこんな感じでヤバそうなとこで別の話題に移ってなんもない感じなんだよ」と言っとりましたが、正確には年長さんの酒乱的性格に他のしとが付き合ってるっつー感じでしょーか。
現に、僕ぁ二度ほど聞こえるよーに言ったら一分くらいおとなしくなりましから。
一回目は「オマエら、もう来んな」。二回目は店員さんに「月に一回は来るから」と名刺を渡したときに「毎日来い。毎日来てやれ」と言いました。
あー、そこの店の店員が、店を特定されるような文体で客のことどーたらこーたら書いたら問題でしょーが、同じ客としてですね、今は金出しゃ万事オーケーじゃねんだよっつー。
お話変わるんですが、僕の好きな格闘家、イマナーこと今成正和
が、勝った試合後の撮影でオメコ・サインをしとりまして、でも、それは地上波TVで放送される興行じゃできねーそーです。オメコの話なのにおケツの穴が小せー話ですね。
んなわけで、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」っつーのと同じで、オメコ・サインがタブー視される風潮を変えようと、お疲れ気味なギ装置Rにオメコ・サインをしてもらいました。ピース・サインを世に広めるよーなもんです。ええ。(意図が、こう、なんか違うんだよなぁ。)
翌日、「ああ、これ風邪もらったな」と思ってたのが表面に出てきました。
お陰様で二日ほど寝込んだわけなんですが、こーゆー時に本を読むことにしてます。以前「年に一、二冊しか本は読まない」と書いてたのはそーゆー意味です。
因みに、去年は未読だった『フランク・ザッパ自伝(新訳版)』を読みました。
今年は購入して放置状態なのがなかったんで、大昔読んだのを引っ張り出しました。
ジョージ・オーウェルの『1984年』です。
小中学生時代に触れてれば、SFっつーのもハードボイルドものに散文詩的な魅力を感じるよーに発想とか展開を楽しむ感性が身についたんでしょーが、僕がSF小説に触れたのはカウンター・カルチャーに被れた二十歳前後です。
なので、読んだことがある作家はフィリップ・K・ディック、ジェームス・バラード、ジョージ・オールウェルくれーです。(後期ウィリアム・バロウズや一時のコリン・ウィルソンも含まれるかもしれないが。)
『1984年』を読むきっかけになったのは、デイヴィッド・ボウイやテリー・ギリアムが作品のモチーフにしてたからです。ありがちですね。
でも、書物って不思議ですねぇ。理解できねーまま読んでた頃はステータス的なもんでしたが、漠然と読み直すと印象が違ったりします。
『1984年』を読んだ十数年前は、テリー伊藤や石丸元章がかの国を面白おかしく書いた本が出版されて、しょーぐん様のステッカーとかが、おされアイテムでしたから。
いや、蓋を開けたら「昔のロシアをモデルにしたんでしょ?今時ねーよ、こんな話」とか思ってたら今でもあったっつー。
いや、他にも色々唸るとこはあるんですが。
んで、『1984年』をモチーフにしたアーティスト・作品っつーと、音楽ファンの僕だとデイヴィッド・ボウイの『ダイヤモンドの犬』が身近でして、デイヴィッド・ボウイを色々聴き返してます。
彼の熱心なファンじゃなくても、『世界を売った男』や『ハンキー・ドリー』、『ピンナップス』はジャケ買いっつーか、ジャケットが話題になったんで『ジギー・スターダスト』か『レッツ・ダンス』の次くらいに買っちゃうアルバムだなぁ、と。
そら『ハンキー・ドリー』のジャケをすり込まれて「こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです」って目にしたり耳にすると反感おぼえるわなっつー。
因みに僕ぁ『ジギー・スターダスト』の次に、ブライアン・イーノがプロデュースでバロウズの影響やらがどうたらっつーことで『1.アウトサイド』を買って「い、一体このしとはどうやってここまで別人ちっくなアルバム作るまでになったのよ!?」と思い、反面「金返せ!」くれー思ったクチです。
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