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夏休みクライマックスっつったら特撮もんだろ?

2010年08月30日 12:36

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、諸々「初心に還ろう」と思い二ヶ月くれー経ちました。
で、夏休みっつったら、カンフー映画とホラー映画、んでもって特撮映画じゃないかっつーもんで、改めて『ゴジラ』(第一作の国内版。)を観ました。
正直、カラー化してからの『ゴジラ』シリーズはゴジラじゃねーと思ってんですが、この一作目は今観ても「凄ぇ」と感嘆しちまいます。
Godzira.jpg

 劇中の曲を担当した伊福部昭によると、「当時、特撮映画はキワモノ扱いされていて、そういった作品に関わると、作曲家も役者もその後いい仕事がまわってこなくなると反対される風潮にあった」みてーなことを回想しとります。
でも、元々、企画倒れになった作品の設定やらが根底にあったそーで、その制作を諦めきれん制作陣はアイディアのいくつかを『ゴジラ』に活かしたそーです。
んで、東宝上層部に制作のおうかがいをたてるも、最初は「ハリウッドでも撮れないようなもの。映像化は無理」と否定派が多数だったものの、巨額の予算を投じて制作が決まったっつー。

 シリアスな作品じゃなく、怪獣ものに予算が投入された以上、失敗したら首がとぶ覚悟だったんじゃねーかと。
んで、曲も日本を代表する作曲家の一人である伊福部昭に依頼が来たわけですが、回想インタビューだと結構、乗り気だったよーに語ってんですが、ホントかなぁ。
いやね、僕が作・編曲を学んだときに、専攻分野の一つに映画音楽を選んだんですが、講師曰く「制作期間の短さにヤケクソ気味だった」とか「機材がポンコツで蹴っ飛ばしてまた動いたら録音を再開した」等々。
が、映像部門も背水の陣状態だったでしょーが、人間、やればできるもんです。
確か、作曲期間が二週間とかそんなもんなのに完成させられたのは、円谷英二が特撮シーンのフィルムをこっそり見せてくれたりしたのもあるでしょーが、伊福部昭っつーしとが和声なんかで禁忌とされてることを臆することなく使用するよーな天才肌だったからかも知れません。
少年時代から作曲をしていたとはいえ、高度な理論は独学ですからね。
物語前半の舞台、大戸島のしとじとがゴジラの恐怖に怯えるとことか、不穏な曲で雰囲気を盛り上げてます。
あと、特撮部分にて低音管楽器を多用しゴジラの重厚さを際だたせたり。
映像だけ観ると「よく出来てますね」ですが、銀座や芝浦を破壊しつくすシーンは今でもゾクゾクしますから。
その後のシーンにて、女生徒の合唱による「平和への祈り」っつー整合性のある美しい曲がクライマックスに向けての重要なポイントになってますね。
他、ナショナリズムに根ざした旋律の挿入曲もあり、ゴジラの鳴き声に頭を悩ませながらもよくここまで出来たよなぁ、と。

 ストーリーも結構深いです。てか、「水爆実験で巨大化した怪獣を倒しましょう」っつー明快なもんでええ気がするんですが、ゴジラの存在を単なる怪獣じゃなく、民間伝承・考古学・科学の面から恐怖かつ謎の存在として描いてるのが「なるほどねぇ」と。
被爆国だから水爆が原因になり再び東京が焼け野原になるっつーテーマに出来たんでしょうが、放射能の影響で手がつけられなくなったゴジラを殺すためには同等の兵器が必要っつー。
その兵器を秘密裏に研究していた博士の、最終的に使わざるを得なくなることに対する苦悩も見所ですね。
自身が記した文献を燃やして、二度と使われ無いよう、設置と稼働も自分で行い成功を見届けて死んじゃうっつー。
これ、核云々じゃなく、現在に至るまで非人道的な最新兵器が使われたりしてますから、色々考えさせられます。
当時は復興途中で反戦の意味合いが強かったでしょーが、現在だと「有事の時どうすんの?」っつーことも考えさせてくれます。
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