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変態ハンクの性器がでるブログ~震災も原発事故も諦めることがもっとも愚か~

2011年03月29日 23:34

【今回がホントの十周年記事だ。長ぇぞぉ。】

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、26日にアップした前回の記事は熱でヘロヘロでした。
まあ、いいや、前々から酔っぱらって日本語がおかしくなることあるし。

 一昨日がピークでして、悪寒の後に午後から発熱。
仕事から帰宅したら38.7度。備蓄してあったロキソニンを発泡酒で流し込み解熱しました。(消化器不良や目眩の元にもなるので真似してはいけない。)
ええ、リーガル・ドラッグストアカウボーイです。
僕ぁ、町医者にかかると、あって困らねー胃薬なんかを処方してもらい、急な不調時に飲むよーにしてます。
飲み合わせが難しいもんや、症状によっては不可逆な後遺症を残すもんもありますから、知識がねーしとにはオススメできねーですが。お薬備蓄。
例えば、解熱でいえばボルタレンのが優れてますが、インフルエンザには禁忌です。
なので、日曜でビョーインも休みな手前、ロキソニン飲んで、冷却シートを額に貼って寝ました。
あとですね、晩飯は前日に天然鰤のあら(三回は食える量で198円。)が買えたんで、作り置きしてた鰤大根、余った菜っ葉の味噌汁、梅干しを炊き貯めしといた玄米と一緒に食いました。
呑み助の僕ぁ、朝は軽めでカロリーもあるパンが好きですが、こーゆー安上がりで体の芯から温まる和食は、独り暮らしには有り難ぇもんです。
こんなビンボー人の自炊飯も食えなくなろうとしてんですから、まあ、未曾有も未曾有ですね。

 平日は震災前より一時間近く早く部屋を出ねぇとストレートに電車の乗り継ぎができねーです。(俺の居住地は7時を回ると乗り切れない場合がある。)
んで、平熱ながら、酒とロキソニンで脳みその芯がくらくらしつつ、職場の休憩室にて酒かなんかをこぼしてですね、空き地に捨てられたエロ本みてーにバサバサになった、中上健次の『重力の都』を読んどりましたら、元から声がでけぇネーチャンがいつもより大声で笑ったり話したりしてんですよ。
いつもなら「まあ、可愛いからええや」と思うんですが、頭がくらくらしてんで「やかましい!」と叫びそうになりました。
が、「彼女も、その周囲も怖いんだな」と冷静に受け止めました。
前回の記事でも書いたと記憶しとるんですが、誰も福島原発の事故を話題にしとりません。
んで、どーでもええ話題で無理にゲラゲラ笑ってるっつー。

 生い先短ぇジジババ向けなのか、大事なことは報じない日中のTVと、ネットで、しかも新聞社が配信しているニュースや識者の見解が大きく異なります。
んで、黒い力がはたらくのか、記事内容に一部削除が見受けられたり、記事自体が削除されるケースもあります。配信翌日とかでも。
そーいったニュースを某巨大掲示板が採り上げたりします。
なので、ネットで仕入れた情報がホントであれ嘘であれ、未だに「あの掲示板で話題になってるってオタクくさぁい」と思われる危険性があります。
てか、僕、海外・国内含めて色んなニュースのRSSをブックマークしとるんで、某巨大掲示板をチェックできねーくれー情報が配信されるんですが。

 僕ぁ自称、ミュージシャンやエッセイストでもねーです。パフォーマーです。
パフォーマーは滑稽なことして笑かしたり、みんなが思っとることをブラックジョークを交えた暴言で溜飲を下げることが役割の一つだと思ってます。
一銭も貰ってねーですが。
僕ぁ、思い切って、ネット上で「バカ?」と思ったニュースをネタに暴言吐きました。

「いや、もうね、菅直人が被災地視察っつーから、虎一(作業服メーカー。)着て福島第一原発かと思ったら、岩手の陸前高田市だって。原子力に詳しいなら原発視察のが先だし支持率上がるだろって思いますわ。あと、ほら、あのヅラの人、保安院の。あの人絶対変態っすよね、顔に出ちゃってる。変態呼ばわりされてる俺が言うんだから間違いねえ!」

「毒餃子やね、放射能物質入り黄砂を大陸からばんばん飛ばしてきやがる中国が”和食レストランの材料は日本産じゃありませんでした。嘘こいてました”って、バカにすんなって。震災前の安全な状態から日本産使ってなかったじゃねーかって!」

等々。

で、意外や、このニュースをいくつも、所謂主婦層が知っていてちょっと驚きました。
「日程調整って絶対自分が安全でいられる被災地を選定ですよね」とか色々。
あと、TVじゃ報道されてねーかもですが、麻生太郎が福島県入りして福島産野菜食ってみせたっつーニュースも知ってました。
ヘヴィなネット・ユーザーは、主婦層の情報収集力や行動力は既知ですが、マジで驚きました。(勿論、全ての人がそうではないだろうが、数年前と状況は大きく変わっている。)
てかね、僕ぁ市井の労働者ですが、同僚に被災地出身の方もいますし、もしかすれば、この気の狂った政府を信奉してるしともいるかもしれず、ついでに親類が東電に勤務しとるしともいるかもしらんです。
識者や芸能人の発言も責任が問われますが、職場で「ハンクは無神経」と叩かれ、離職しなきゃならなくなったらホームレスになるしかねーっつー。このご時世。
あとね、TVやネットでも報じられてねー、まだライフラインが復旧してねー被災地の方と話す機会がたまにあります。
守秘義務がありますんで詳しく書けませんが、テメーが情けなくなってきます。
情報が入ってきてねーんで、原発がどうこうじゃねーんです。
「いかに今日を生き残るか?」に懸命ですから、用件だけじゃなく、呼び水的に現在の居住地付近における状況等を聞いてあげることにしてます。(なんかエラソーだな。おい。)
少しでもストレス発散してもらえれば何よりですが、各メディアが報道してねー状況に、偽りの無い、気遣いの言葉が出てきます。
そのしとの言葉は、悲惨な状況をまくし立てつつ「どうやったって生きてやるから!」という気持ちがこもってまして、悲しみを吐露したはずが僕には「勇気をありがとう」と感じられ、僕が「...そんなにも...遠方にてお恥ずかしい限りですが、お見舞いを申し上げるとともに、お申し出の件は早急に対応させていただきます。大変な状況でのご連絡ありがとうございました」と応え、十分ほどの通話は終わったんですが、同じ思いをしていない地域のしとにぶちまけてなんとなくスッキリしたよーな声になっとりました。
ホントは原発だけじゃない惨状を書きたい。
しかし、悲しいときに何故ブルースを聴くのかっつーのがなんとなくわかった気がしました。
昨日の話ですが、僕ぁその悲痛の裏に逞しさが宿った声を、帰宅時の電車で何度も脳内再生し「風邪なんかクソ食らえ!」とジョギング、しかも100mダッシュを織り交ぜた追い込み系に出ました。
まあ、おかげでまた熱出て「相変わらずアホだな、俺は」と思いましたが。

 お話変わって、原発ノイローゼで「睡眠薬を飲んでぐっすり眠りたいけど、眠っているうちに被曝するのが怖いっつーしともいるそーです。
ここまでくると、「本読め、本」と。
一過性のストレスなら、メディアから離れると無意識に眠気がおきますから。
でね、経済関係の小説とか、冷戦時代に実際核戦争が勃発したことを想定した小説、原子力事故の書物はオススメしねーです。

てか、んなハリウッド女優と六発ヤる妄想みてえなもんは絶対読むな。


僕がオススメしてーのは、「死と再生」をテーマにした作品です。
こり、前回の記事で上手くまとめたかったんですが、風邪でバカになってましたんで改めて。(額縁通りに”死”と”再生”を扱ったものではない。)


考えてみな、死ぬってのはえらいことだぜ
死ぬのって簡単じゃない
いちばんきついのは
どんどん死がちかづいているのをわかっていながら生きることだね
-『天使はポケットに何も持っていない』冒頭より/ダン・ファンテ

 僕に文章を書くきっかけをつくってくれたのは、チャールズ・ブコウスキーです。
「オマエ、精神年齢幼いだろ?」と言われれば否定できねーですし、仮に十年前より成長しとっても「あんな世迷い言が売りの奴は知らないね」とは知らねーふりはしません。
で、このチャールズ・ブコウスキーの少年時代の趣味っつーのが、両親に隠れて布団の中で図書館からかりてきたあらゆる書物を読むことだったっつー。
んで、ある日、「ジョン・ファンテ」なる聞き慣れない作家の作品を見つけ、試しに『Ask the dust』を借りてみたら十代のブコウスキーは衝撃を受けた、と。
彼はルイ・フェルディナン・セリーヌやドストエフスキーからの影響のが強いよーに思えますが、いっちゃん影響を受けたのはジョン・ファンテだそーです。

 ジョン・ファンテはイタリアからの移民で、貧しい少年時代をおくりながら「いつか作家になる!」と思っていたそーです。
んで、そーいった青春時代を私小説風に描いた作品がいくつかあり、その一つが『Ask the dust』で、チャールズ・ブコウスキーが衝撃を受けたっつーんで、この作品のみ『塵に訊け!』っつー邦題で翻訳されとります。
ブコウスキーはジョン・ファンテの分身であるバンディーニが登場する作品を全て読んでおり、長らく「神を訪ねにいくような行為だ」と躊躇しつつ、ファンテが亡くなる前に訪問するにあたり「あの娘とはどうなったんですか?」等々質問したそーです。
当時、ファンテは糖尿病の合併症で失明しており、酒、ましてやワインなんてとんでもねーのに「呑むんだろ?赤が好きらしいな。一緒に飲もう」とブコウスキーと飲んだそーです。以前も紹介したエピソードですが、気合い入ってんなぁ、と。

 先日、実家のお袋どんから電話がありました。
八年近く苦しんだ挙げ句、やっと特定疾患として診断書が書かれ、国に申請することができる状況になりました。
が、そこに記された病名は三つの難病でして、死ぬのを待つだけ。もっと突っ込むと、原発で被曝したよーな状態です。
以前のライト・ヘビー級みてーな筋骨隆々な体躯は既になく、体毛も薄くなり、まるでFBIに捕獲された宇宙人みてーになっちまってます。
こりは抗癌剤の副作用によるもんですが、色々調べた結果、三つの難病は「原因不明のケースが多いが、放射線物質の被曝、抗癌剤投与の際は発病する因果関係があるとされとりました。
んで、かなり状態は悪いよーですが、先日主治医に、僕が帰省するより二週間も前に「○日に息子が帰ってきますんで」とハッタリかましたそーです。
つまり、退院までの間、諸々の検査で十日はかかるんで、僕が帰省する前に一時的にでも退院できるよーにしたっつー。
ただ、以前の倍輸血し、腎臓にかなり負担をかけているにも関わらず、血液が健常者の三分の一より上昇しません。
一昨日は風邪で休みましたが、昨年11/11の禁煙以来、雨の日を除いて5~10kmのジョギングは毎日続けとります。走らねぇと何かが終わる気がするんです。
お陰様で靴下はすぐ底がすり切れて買い換えなきゃならんですが。
「この難病のいずれかが合併症を起こした場合、親父は急死するだろう」と理解したからかも知れません。
んで、ガイガーカウンターのサイトを見ても、外部被曝なんであんま神経質になってねーですが、最悪ですね、被曝特有のビョーキを発症しても、親父が苦しんできたのを目の当たりにしてきましたから、「来いよ、なったら死ぬまでに有ることだけはしっかり記すからな。文革以降の中国や、韓国みてえに無いこたぁ書かねえよ」と思っとります。
勿論、死ぬのは怖ぇですよ。でも、んなこたぁそん時になったら考えろっつー。

 いっちゃん最初に「長い」と宣言したのは、男性限定になるんですが、父親に対する感情が本記事のポイントになるからです。
もし、僕がバイ・セクシャルや性同一性障害だったりしたら、「女としてならこう思う。なのでこの作品がオススメ」と書きたいとこです。
えー、エディプソ・コンプレックスよろしく、男子は父親に対して二つの感情を持ちます。
一つは蔑み。もう一つは憎しみ。
愛情を抱くこともありますが、なんらか事情がねー限り、そりは父親の抑圧からくる恐怖心が変換されたもんだと思います。
僕の親父どんは、祖父が亡くなった際言いました「親父が死んだ今、俺に怖いものなんて何もねえ!」
現在消去したアカウントにて書いたことがありますが、無茶な行軍と射撃で耳も腰もやられた祖父に対して、親父どんは僕が幼児期から怒鳴り散らしてました。
なので、体力的に衰えた祖父をいびっとるよーに思ってましたが、ずっと怖かったんだな、と葬儀後感じました。
実際、僕ぁ幼少期「俺はお父さんみたいに酒も飲まないし煙草も吸わない!」(成人になった俺は大酒飲みで一時期チェーンスモーカーだった時期もある。)と蔑んでましたし、十代の頃は「畜生、いつかぶっ殺してやるからな!」と思ってましたから。
二十歳の頃は取っ組み合いの喧嘩もしましたが、全くかなわなかったっつー。
でも、僕の顔はビンタしても本気で拳使って殴りにきませんでしたね。
殴られたのは仕事でのミスくれーですかね。都会の土木作業って命がけなとこありますから。

 どの映画を担当したか?日本で上映されたものもあるのか?っつーのは不明ですが、ジョン・ファンテは小説家では生計が立てられず、ハリウッド映画の脚本を手がけるよーになり、家族を養えるだけじゃなくハリウッドの関係者とゴルフをするよーなスポイルされた存在になり、息子のダン・ファンテは蔑んだ感情を抱きます。
彼の自伝的小説『天使はポケットに何も持っていない』は、自身をブルーノ・ダンテとし、父親を軽蔑しとります。
が、結婚はしとれども子供もいない冷めた家庭。
んで、父親が危篤だっつーのに実家に駆けつけたら弟からは毛嫌いされる。
なんでかっつーと、一応は職を転々としつつ自活してんですが、アル中なんです。
ブルーノことダン・ファンテは「作家であることを放棄し、金のためにハリウッドに魂を売り稀代の才能を捨て去った」と思いつつ、死ぬ間際の父親に対して上っ面は蔑みつつ、畏怖にかられてですね、これから起こることを受け入れられねーっつー。

 ジョン・ファンテが小説家だった頃の『塵に訊け!』は、一見青春ものですが、前世紀の人種差別や社会問題が如実に描かれております。
あー、この親子の作品を採り上げるのは旧アカウント以来なんで躊躇しますが、有色人種が差別される時代にあって、ファンテが恋したメキシカンのウェイトレスに対し罵ります。
「メキシコ人のくせしやがって!イタリア人の俺のがまだマシなんだよ!」みてーな。
この脊髄反射的な怒りにファンテっつーか主人公バンディーニは後悔しますが、そーいった表向きは「いやー有色人種でも差別しませんよ。だって、今の大統領がそーでしょ?」とはいえ、暴動でも起きると白黒対決の前にそれ以外の有色人種が殺されると思ってます。
このタフな時代を生きた父親に対し、ダン・ファンテは、故郷を遠く離れて朝陽に向かって両拳を掲げる姿を思い浮かべ、「どういった思いで生きてきたのか?」と想像します。

 ブルーノは、父親が重症になる前に面倒をみていた飼い犬のロッコと行動を共にします。
父親にしかなつかなかったからか、父親が危篤状態になってからはブラッシングどころか体も洗ってあげてません。
んで、父親が多臓器不全で亡くなり、蔑んでいたはずの父親の死を認められず酒を呷ります。
さらに、愛犬ロッコが癌を患っていることを知り、父親の写し鏡と思い生き残る術を探しますが、ロッコも亡くなります。
かくして、ブルーノは、見かけた書店で訪ねます。
「ジョナサン・ダンテ(ジョン・ファンテ)はないか?」と。
なんとか購入はできましたが、父親が大昔に忘れられた作家であったことを改めて痛感し、されとて『Ask the dust』を車中で読み「これほどの才能がありながら、何故?」と蔑みと憎しみは「こいつを超えなければ道は開けない!」と変化し、実体験だからかリアルな描写でアル中を克服し、作家になることを決意します。
で、その一作が『天使はポケットに何も持っていない』です。(映画化の話題が出て五年近く経つが、進展はまだ無い。)
どーやら三部作だそーで、その一冊が『天使はポケットに何も持っていない』とのことです。
tennshi.jpg

 海外の作品っつーと、翻訳者によって評価が分かれる傾向があります。
で、今回のテーマ「死と再生」からしますと、国内だと前回、前々回の記事でちょこちょこ採り上げた飯嶋和一の『汝ふたたび故郷へ帰れず』に勇気づけられます。
nanji.jpg

前回の記事で「好き嫌いが別れる」と書きました。
理由を書ける思考回路じゃなかったんで申し訳ねーんですが、ボクシング観戦をよくしたり、用語をしらなけりゃ退屈っつーのと、30代中盤から40代以上でなければわからない社会現象が盛り込まれていたり、一歩間違うと「エンターテインメント小説として解釈すれば文体がエッセイに近い」っつーあたりで「こ、これは!」と「何、これ?」と別れると思います。

 い、一応、イニシャルのみで社名は伏せますが、鹿児島から船で20時間かかるトカラ列島の一つに「宝島」なる島あり。その列島をリゾート地にするため経済援助しつつ、宝島だけは拒否したと。
で、その企業は恐らくヤ○ハですな。
気候は一般的に知られております奄美大島と同じく、ただ、医者もいなけりゃ自動車もナンバー・プレートを付けねーで走ってるっつー。(都市部なら道交法違反。)
そんな辺境の土地から本州に渡り、アマチュア・ボクシングで大学推薦入学を経て、バブルが始まる寸前とはいえアホな風習に呆れて中退。
その後、プロ・ライセンスを取得しますが、ミドル級にて185cmと72kgがベストっつー体躯、リーチの長さ、スピードとテクニックが日本人離れした新田駿一を主人公とした作品です。
で、この新田は主人公でありつつ主要人物が時々により乗り移ったかのよーに、独白や心情が変化しますんで、前回の記事で「好き嫌いが別れる」と書いた次第です。
ただ、一般的なボクシング・ファンならすんなり読める試合の描写はボクシングを見ねぇしとにはキツイです。
いや、テクニックがどーとかじゃなく「この臨場感は凄い!」って類です。

 ボクシングが好きなしとなら分かると思いますが、小柄なボクサーが多い日本人は軽量級の選手が多く、海外のよーに一夜にして富豪になれるよーな試合はねーです。
そーいった背景で、日本人離れした、チャンスが巡ってくれば世界に通用するような逸材である主人公・新田は、チャンピオンどころかランキング一位にも「負けたら大変!」と回避されプロになってから四年以上経過したとっから物語が始まります。
このことについて、古稀を越えた所属ジムの下村会長は「どいつもオマエを噛ませ犬になるのを待っている。気を抜くな」と説明しますが、「クソ爺!もう、どうでもいい!世界や東洋じゃなくてもいい。もっと大きなカード組んでくれ!出来ないのか?なら俺は辞める!」とジムから去ります。
ボクサーを志した、もしくは試合を観ることが楽しいっつーしとはわかると思いますが、ボクサーは寿命が短ぇです。
んで、世界チャンピオンになり、一回でも防衛してなきゃならんっつー二十代半ばにして日本チャンピオンですら試合してくれねーっつー。
こり、ジェイク・ラモッタの伝記的映画『レイジング・ブル』なんかと共通しますが。
結局、日本及び東南アジアならともかく、欧米で盛んな階級の、しかも世界に通用するかもしれない逸材が「もう辞めた」と。
んで、天賦の才で勝ってきましたが、酒に溺れていきます。
このアル中からの復帰はあんまリアリティねーですね。

 ボクシングから足を洗った新田は、生まれ故郷である宝島へ二十年ぶりに戻り、ひょんなきっかけで「間もなく三十路だ。でも、やってやるぞ!」と27歳つー、当時のミドル級にしちゃまだ諦めるのは早いさ!ってとこで約二年のブランクを経てプロ復帰を決意します。
結果、22歳の新鋭が、次戦は日本タイトルマッチのために噛ませ犬を一匹食っとくかと試合が決まりますが、さていかに?と。(これは本編を読んでくれ。先刻調べたところ、最近は文庫版も刊行されているようだ。)

 前述のとーり、一応主人公は素質あふれる新田駿一が主人公ですが、彼の中に様々な人物や出来事が入り交じり、作者である飯嶋和一は「故郷とは一定の地域ではなく、その人が記憶にとどめているもので二度と帰ってこないものだ」みてーなことを後書きに書いとりましたが、主要人物の故郷は色々興味深いです。

 まず、主人公である新田の故郷が九州から遙か離れた列島の一つっつーのもありますが、彼がプロとして感触を掴むことになる、モスクワ・オリンピックを日本が辞退した際に「ええ、五輪に向けて努力してきましたよ。でもね、昨今の風潮はおかしいですよ」と嘲笑し、そんな今なら叩かれる発言に共感した新田をスパーリング・パートナーに抜擢した白鳥の故郷は会津です。
この点について、作者は「戊辰戦争で朝敵とされながら諦めなかったためか、反骨精神が強いのかも知れない。日本王者で、プロ転向時にはロートルだったにも関わらずその姿勢を故郷の人々は英雄のように応援していた」なんてことを主人公に語らせております。

 影というか、ホントの主人公じゃねーかっつーのが、新田駿一を育てたジムの下村会長です。
第二次世界大戦前にアメリカへ単身渡り、「日本から凄いブル・ファイターがやってきた!」と報じられるも、当時のアメリカは有色人種を強烈に差別していた、と。
こり、前述のジョン・ファンテに通じるもんがあります。
1900年代初頭のお話ですから。
んで、黒人、アジアン、メキシカン、キューバンは尽く差別され、ボクシングのトレーニングをするなら人目に付かない場所でしかできなかった、と。
んなわけで、黄色人種である下村は黒人(作中では”アフロアメリカン”と呼び差別的な表現はしていない。)のエドというトレーナーの下で日本人が知らなかったジャブの技術を学びます。

 下村会長は東京都は千駄木出身です。
古くは大和武尊の伝説や、戦国時代前は室町時代に名将と呼ばれた太田道灌の伝説やらで有名なとこです。
んで、江戸時代の長屋の名残を残す助け合いな地域であったらしく、その精神は物語の後半で触れられとります。
主人公・新田が、まだ腐る前のことを回想します。
下村会長は、差別から地下にジムを構えたトレーナー、エドに「ハイドジャロウ(Hidejirou)故郷はどこだ?」とたずねられます。
「アンタの名前と同じ。江戸。エドだよ」
「俺と同じ名前の土地が故郷か!じゃあ、ハイドジャロウは俺の息子だ!」

 第二次大戦前は単身アメリカで試合を行ってきた下村会長は、引退後ジムを開設。
されとて、日本ランカーは育成できれども、タイトルを獲った選手なし。
ただ、主人公・新田駿一だけが新人王と上位ランキングを獲得。
納得のいかない試合をする選手にはプロライセンスを取得させなかったり、極力選手に負担(選手がチケットをさばくような負担よりトレーニングを優先。)を避け、また敵味方関係なく、選手生命が終わったとしても、日常生活に最低限差し支えないような状態で試合を終わらせたいっつー気持ちが強いとこがちょくちょく描写されとります。

 時の流れは残酷です。
「可能性とは叶うことがあること?それを待っている間に歳をとるじゃないか。俺が腐るのを待ってる奴がいようがいまいが同じこと」とボクシング界から離れた二年のうちに主人公・新田は太り、スタミナも落ちてます。
幼少期を過ごした故郷に帰り、彼はもう二つの故郷を訪れます。
一つは、テメーが自暴自棄になった後、生まれ故郷に帰るため仕事しかしてなかった期間に亡くなってしまった恩師下村会長のジムと後援会が存在していたその近所・千駄木。
もう一つは、たったの二年。しかし、プロボクサーからすれば十年以上は時が経過しているリングです。

 前者は、本作発表当時である1988年に社会問題になった地上げ屋による恫喝により、江戸っ子文化が壊滅状態であることを知ります。
んで、今でもそーですが、日本人ってジャブをあんま有効に使わってねー印象受けますが、ジャブで相手を崩してけと教えてくれた下村会長のジムは埋め立てられてました。
同じ有色人種であるエドのジムを真似、地下に建設した、主人公が超新星として汗を流した故郷が無くなってたっつー。
じゃあ、、どーやってトレーニングしたの?っつーのは本編読んでください。
後者は、無事戻ることができました。
が、若い上にブル・ファイターで次は日本タイトル挑戦のため、ロートル相手に調整しよーっつー負け無しの若造が相手です。
いくら体躯とテクニックが日本人離れしていると恐れられていても、ブランクと年齢は誤魔化せません。勝たなきゃ故郷には帰れねーっつー。
『汝ふたたび故郷へ帰れず』っつータイトルは秀逸だな、と。内容もですけど。

 前半にて触れた『天使はポケットに何も持っていない』は実父に対する想いが描かれておりますが、『汝ふたたび故郷へ帰れず』は、実父がいると読者へ認識させるのは前半に「大学中退後、それ以来両親とは会っていない」と綴られているだけで、ボクサーとして育ててくれた下村会長が父親として描かれおります。
再びリングに帰ろうと計量に訪れた主人公・新田は、対戦相手から計量後、睨まれます。
この行為について、新田は「最近はこういった行為がもてはやされているらしい。馬鹿馬鹿しい」と一蹴します。
あー、一時期もてはやされ、今やどーでもええ存在になった亀田兄弟に対する興行主や各メディアへの先を読んだ、作者からの皮肉に思えますね。

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