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実家に帰らせていただきます!2

2009年09月01日 01:09

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。

あー、明日っつーか、もう今日ですね、しばし帰省します。

別にホームシックにかかったわけじゃねーですが、実家の親父どんがまた弱ってきたんで。

お袋どんも難しいビョーキを患ってまして、弱った親父どんの面倒を見るのはかなりのストレスだと思いますんで。

いやね、社会不適合社で持ち合わせてるもんで金も稼げねーで、辛うじて自活できてる身としては「んな死に損ないなんか知らねー。知らねぇ知らねぇ、俺ぁなーんも知らないしとなんですぅ」と開き直って嘘か誠か押尾学みてーにシカトしてーとこですが、親父どんには生涯かけても返せねーよーな恩があるんで。



 過去の記事にもよく書いてましたが、僕、一人っ子です。んで、実家は親類がドジって借金こさえました。

今なら法廷で争えばなんとかなるよーな問題ですが、当時はそーゆー法律はありませんでした。んで、その親類の借金を肩代わりしたおかげで僕んちはビンボーでした。バブル期なのに。

そーなると、一人っ子の僕ぁ、今考えると人生設計っつーもんに失敗は許されなかったわけです。

それだっつーのにセンズリ三昧で学業は疎かで、高校も公立の進学校は見事に落ちて、魁!男塾みてーな私立の男子校です。

更には「ああ、こんな高校じゃまともな大学にも行けねーし、金もねーし、働きたくねーや」っつータイムマシンがあったら胴タックルからマウントとってパウンドの雨あられで半殺しにしてやりてーよーなこと思いまして、逃げ道として「作編曲で食う」と世迷い言を言いました。

当たり前ですが、親父どんは顔真っ赤にして怒り狂いました。「そんな簡単な世界じゃねえ!それならテメーで稼いで学校なりなんなり行ってみな!」みてーな。

はい、親の説教と寸止め三時間のセンズリは後から効くっつーもんで、確かにとんでもねー世界でした。

んで、後悔やら申し訳ねー気持ちやら、「俺ぁなにやってもダメな奴なんだな」と、毎日、駅のホームから特急が来たら飛び込みたい気持ちにかられて「待て待て、ヤラせてくれそーな、ほら、○○ちゃん。彼女と一発ヤレなくなるじゃないか!」とアホなこと思いながら自殺を一億三千万回くらい思いとどまりました。お~くせんまぁん、お~くせんまぁん♪(の、マラ騒ぎぃ~、変態ちっくにっ、チンポまんこで...)



ジャパァッ~ンッ♪




 今で言う、安月給の底辺でもいい、会社員として働いて市井のしととして生きればええじゃない、と思いましたが、僕ぁ協調性もねーですし、嘘っぱちな面作って飼い慣らされた振りするのもできねー人間です。

これねー、ガキん頃に「おれはワルだぜ」みてーなことしてて、オトナになったらまともに生活してるしとからすると「気取りやがって(嘲笑)」と思われるかも知れねーですが、冗談抜きで僕、嫌なことはメーターがレッドに到達すると簡単に放棄しますから。この苦しみ、疎外感、わかりますか?一応は他人様に迷惑かけねーで自活してるんで書きますけど、誰だって嫌なこたぁ仰山ありますが、こんな僕でも最低限逃げねーで生きてんです。職場の人間の殆どは信用してねーっつーか信用しちゃいけねーと思っちゃいますし、プライベートな友達っつーと片手くれーしかいねーですよ。そーゆー、本来囓る臑があったら囓りまくってボンボンな暮らししてる奴なわけです。

んなジレンマに苛まされてる僕に、親父どんは「自活できるなら好きなように生きろ。音楽で生計を立てられなくたって、いずれそれがお前のかけがえのない財産になる日が来る」と言いました。

いやね、僕んちって「戦中、戦後かよ!」っつーくれー父権家庭だったんで、何度親父どんを殺してやろーかって思い返すと両手両足じゃ間に合わねーわけですよ。

そんな「いいか、この家じゃ俺がルールだ」っつー憎たらしい奴から、そーゆーことを言われると思わなかったんで、当時すげー驚いた記憶があります。

実際、その後も僕が怠惰な生活してても説教しなかったですから。



 僕、音楽は諸々ありまして、聴くのはともかく、作ったり演奏したりっつーのは十年以上離れてました。

なので、当時の親父どんの言葉は「テメーが音痴で楽器の一つも弾けねぇからだろ?」と小馬鹿にしてました。実際、戦後の「働けば稼げる」っつー明確な図式があった時代に長男が趣味の世界に没頭できる家庭なんてわずかだったと思います。とにかく稼げっつー。そんな趣味無き青春時代を過ごした人間の羨望だったのかも知れません。

一見さんは置いといて、以前から僕に好意を寄せてくださって、義理や興味本位だとは思いますが、去年、くだらねーきっかけで音楽活動を再開した際、忘れもしねー、5月6日にとんでもねーもん見せて、協力してくれたしとにも色々と迷惑をかけちまいました。

今でも「なんて俺は馬鹿だったんだ!」と髪の毛掻きむしって奇声を上げたくなりますが、そこまで気に病んだときに「ああ、音楽って俺にとってかけがえのないもんだったんだな」と思いました。

だってですよ、なんか失敗して恥かいても時間が解決してくれるわけですよ。でも、音楽にまつわることはトラウマの如く癒されないっつー。

はて、この傷はどーしたらええもんか?

半分かたぎじゃねーよーな我が家の家訓です。



「やられたら十倍返し。素手で殴られたら石握って殴れ」




んなわけでございまして、仕返し...いや、お礼参りっつーもんで、今度ステージに立つときは去年とは全く別次元のもんを披露してーと思ってます。

やっとこ、ここにきて「水魚の交わり」と思えることが実現しそーなんで、僕ぁかなり気合い入れとります。

僕ぁ、声域狭い上にギター弾きながら歌えねーですし、仮にどんなに上手いシンガーが加入したとしても、「こんな歌い方ができるぜ!」とか「こんあ高いキーでも歌えるんだぜ!」っつーのは萎えます。

こう、確固たる世界観っつーかスタイルがあるしとじゃねーと学芸会バンドになるわけじゃねーですか。そこを「まさにこれだよ!チミ!これなんだよ!」っつーのを体現してくれるイカレポンチを引き連れてステージに立つつもりです。(これでベースとドラム、キーボードが参加したらサウンド・チェックに数時間費やしてバターン状態だぞ、と思う。)

延期になりましたが、10月にやるもんは全曲カヴァーです。でも、それで感触掴んだら、オリジナル曲も作って、メンバーも増やしてーと思います。

今年で33歳っすからね、ここ一年、肉体年齢だけでも若返ろうと鍛錬してきました。その体力を持って、やれるだけやってみよう、と。

個人的なことですが、交友関係にあるギ装置Rや第3のおじさん、デロリ、ハラキリ・ブラザーズのショーグン・ヤマザキさんとジャパニーズ・タカハシさんをはじめ、ウンコ、shit、ババを食わせるよーなことした来場者の方々に口だけじゃねーお詫びする意味で、次は性根入れてやりますよぉぉぉ~!(なんか、ターザン山本ちっくなフレーズが嫌なもんを呼び込むよーな気がしてならないが。)
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