2010年05月01日 20:31
こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、昔話です。
あれは1998年だったと思います。
その前に、あー、お話脱線します。
世界的なヒット作は1987年に発表された『サーペンスアルバス~白蛇の紋章~』のホワイトスネイク。
ディープ・パープル解散後(1984年に再結成し現在も現役。)、デイヴィッド・カヴァーデイルがソロ・プロジェクトから発展させたバンドでして、1970年代後期から1980年代前半まではブルージーで渋めなサウンドでした。
んで、本国イギリスや日本で成功しましたが、アメリカじゃ売れない。んじゃ売れるよーにしよーっつーわけで、サウンドはヘヴィ・メタル調で、更には美形のメンバーで脇を固めて、成功したからええですがある意味迷走しました。
迷走っつーのは、調子こいて同じ手法で次作『スリップ・オブ・ザ・タン』を発表したらヒットとはほど遠いセールだったからです。
ホワイトスネイクは、ジョン・レノンの『ダブル・ファンタジー』とかエアロスミス復活計画で成功したゲフィンっつーレーベルにいたジョン・カロドナーの画策による「デイヴィッド・カヴァーデイルとジミー・ペイジを組ませれば売れる」っつーのに両者が賛同して活動を休止しました。
結局、カヴァーデイル/ペイジっつー捻りのねーユニット名になりましたが、当初はレジェンドだったそーです。
レジェンドっつー言葉が絡むとろくなこたぁねーです。
レジェンドっつー焼酎のCM出てたネルソンズも一発屋でしたし、アントニオ猪木の名前をつこうたレジェンドっつーイベントも大失敗でしたし。
デビュー当時はディープな声と骨太な見かけでしたが、憧れのロバート・プラントを真似てルックスや歌唱法を真似て本家の怒りをかったカヴァーデイルは「今後も一緒にやっていきたい」と熱く語っておりましたが、ジミー・ペイジは「今後は未定」みてーなことを言ってました。(実際、「アルバム一枚、日本のみツアー。アメリカはアナウンスだけして中止にしよう」という契約だったらしい。)
カヴァーデイル/ペイジが予定通り(?)解散した後、デイヴィッド・カヴァーデイルはホワイトスネイクの活動に戻り、『サーペンスアルバス~白蛇の紋章~』に参加したギタリストの一人、エイドリアン・ヴァンデンバーグと1997年、日本にて、シークレットなアコースティック・ライブ(これは『スターカーズ・イン・トーキョー』としてCDとVHSが発表された。)を行い、1998年には『レストレス・ハート』を発表した直後にホワイトスネイクを活動休止し、自身もハードロック界から身をひくような内容の声明を出し、「今回のツアーが最後だ」と。
ええ、僕ぁ騙されて観に行きました。(ホワイトスネイクは2003年に、その後、新作を五年も出さずツアーから活動を再開した。)
お話戻して1998年。今でも覚えてんですが、武道館の外で煙草を吸ってたときの周囲の会話です。
実際、コアなファンもいましたが、三分の二は大ヒットした頃か、その前の『スライド・イット・イン』からしか聴いたことねーファンが多かったです。
てか、アリーナにキャバ嬢やクラブのオネーサンみてーな女性が大挙してたのは、ボクシングの世界タイトル戦で堅気じゃねー風貌のしとじとが座ってるのと同じ違和感をおぼえました。
メタルっぽいサウンドになってからより、初期が好きな僕ぁ、複雑な気持ちでした。
んで、他公演は観てねーですが、武道館での公演は一曲目に初期の名曲である「シャドウ・オブ・ザ・ブルース」でした。
一瞬「うぉぉお!!キタキタキタァ!」と思いましたが、歌唱法が当時の面影なしでがっかりしました。両脇を固めるギタリスト二人も曲に合ってなかったです。確か、スライド・ギターはラットのウォーレン・デ・マルティーニが担当してたと思うんですが、印象に残ってねーです。
同年、初期ホワイトスネイクの中心人物であるバーニー・マースデンとミッキー・ムーディがスネイクスっつーバンドを結成し、初期ホワイトスネイクの曲によるライブ盤とオリジナル作を発表しました。
で、ライブ盤の一曲目が「シャドウ・オブ・ザ・ブルース」なんですが、本家より素晴らしいっつー。
バーニー・マースデンは代表曲の作曲とコーラスに大きく献上し、ミッキー・ムーディはまんまブルースマンなスライド・ギターの巧者、更に往年のデイヴィッド・カヴァーデイルに声質が似ているヨルン・ランデの存在により「こっちのがええがね」と。
スネイクスは上述した二枚のアルバムで解散し、今度はカンパニー・オブ・スネイクっつー、マースデン&ムーディ以外にホワイトスネイクに参加していたメンバーを入れてまたもや初期ホワイトスネイク(と、キーボードのドン・エイリーが参加していたメタル期ホワイトスネイクの曲とレインボーの曲も演奏。)の曲によるライブ盤と、オリジナル作を発表しました。
が、ちょーどホワイトスネイク再始動と重なったからか、デイヴィッド・カヴァーデイルが「いい加減にしとけよ。訴訟起こすぞ」みてーなことを言いだし解散しちまいました。
まあ、知らねーうちに発表されて廃盤になってたんで未聴ですが、『サーペンスアルバス~白蛇の紋章~』収録の曲までやっちゃうのはちょっとあさましいですね。
しかしながら、引退ツアーでがっかりした僕からすると、スネイクスのライブは「これなんだよ、俺が聴きたかったサウンドは!」っつーもんでした。
Amazonをチェックしたら、九千円近い値がついてましたが、ホント、こーゆー商法止めてほしーですね。
<The Snakes - Walking In The Shadow Of The Blues >
あー、昔話です。
あれは1998年だったと思います。
その前に、あー、お話脱線します。
世界的なヒット作は1987年に発表された『サーペンスアルバス~白蛇の紋章~』のホワイトスネイク。
ディープ・パープル解散後(1984年に再結成し現在も現役。)、デイヴィッド・カヴァーデイルがソロ・プロジェクトから発展させたバンドでして、1970年代後期から1980年代前半まではブルージーで渋めなサウンドでした。
んで、本国イギリスや日本で成功しましたが、アメリカじゃ売れない。んじゃ売れるよーにしよーっつーわけで、サウンドはヘヴィ・メタル調で、更には美形のメンバーで脇を固めて、成功したからええですがある意味迷走しました。
迷走っつーのは、調子こいて同じ手法で次作『スリップ・オブ・ザ・タン』を発表したらヒットとはほど遠いセールだったからです。
ホワイトスネイクは、ジョン・レノンの『ダブル・ファンタジー』とかエアロスミス復活計画で成功したゲフィンっつーレーベルにいたジョン・カロドナーの画策による「デイヴィッド・カヴァーデイルとジミー・ペイジを組ませれば売れる」っつーのに両者が賛同して活動を休止しました。
結局、カヴァーデイル/ペイジっつー捻りのねーユニット名になりましたが、当初はレジェンドだったそーです。
レジェンドっつー言葉が絡むとろくなこたぁねーです。
レジェンドっつー焼酎のCM出てたネルソンズも一発屋でしたし、アントニオ猪木の名前をつこうたレジェンドっつーイベントも大失敗でしたし。
デビュー当時はディープな声と骨太な見かけでしたが、憧れのロバート・プラントを真似てルックスや歌唱法を真似て本家の怒りをかったカヴァーデイルは「今後も一緒にやっていきたい」と熱く語っておりましたが、ジミー・ペイジは「今後は未定」みてーなことを言ってました。(実際、「アルバム一枚、日本のみツアー。アメリカはアナウンスだけして中止にしよう」という契約だったらしい。)
カヴァーデイル/ペイジが予定通り(?)解散した後、デイヴィッド・カヴァーデイルはホワイトスネイクの活動に戻り、『サーペンスアルバス~白蛇の紋章~』に参加したギタリストの一人、エイドリアン・ヴァンデンバーグと1997年、日本にて、シークレットなアコースティック・ライブ(これは『スターカーズ・イン・トーキョー』としてCDとVHSが発表された。)を行い、1998年には『レストレス・ハート』を発表した直後にホワイトスネイクを活動休止し、自身もハードロック界から身をひくような内容の声明を出し、「今回のツアーが最後だ」と。
ええ、僕ぁ騙されて観に行きました。(ホワイトスネイクは2003年に、その後、新作を五年も出さずツアーから活動を再開した。)
お話戻して1998年。今でも覚えてんですが、武道館の外で煙草を吸ってたときの周囲の会話です。
実際、コアなファンもいましたが、三分の二は大ヒットした頃か、その前の『スライド・イット・イン』からしか聴いたことねーファンが多かったです。
てか、アリーナにキャバ嬢やクラブのオネーサンみてーな女性が大挙してたのは、ボクシングの世界タイトル戦で堅気じゃねー風貌のしとじとが座ってるのと同じ違和感をおぼえました。
メタルっぽいサウンドになってからより、初期が好きな僕ぁ、複雑な気持ちでした。
んで、他公演は観てねーですが、武道館での公演は一曲目に初期の名曲である「シャドウ・オブ・ザ・ブルース」でした。
一瞬「うぉぉお!!キタキタキタァ!」と思いましたが、歌唱法が当時の面影なしでがっかりしました。両脇を固めるギタリスト二人も曲に合ってなかったです。確か、スライド・ギターはラットのウォーレン・デ・マルティーニが担当してたと思うんですが、印象に残ってねーです。
同年、初期ホワイトスネイクの中心人物であるバーニー・マースデンとミッキー・ムーディがスネイクスっつーバンドを結成し、初期ホワイトスネイクの曲によるライブ盤とオリジナル作を発表しました。
で、ライブ盤の一曲目が「シャドウ・オブ・ザ・ブルース」なんですが、本家より素晴らしいっつー。
バーニー・マースデンは代表曲の作曲とコーラスに大きく献上し、ミッキー・ムーディはまんまブルースマンなスライド・ギターの巧者、更に往年のデイヴィッド・カヴァーデイルに声質が似ているヨルン・ランデの存在により「こっちのがええがね」と。
スネイクスは上述した二枚のアルバムで解散し、今度はカンパニー・オブ・スネイクっつー、マースデン&ムーディ以外にホワイトスネイクに参加していたメンバーを入れてまたもや初期ホワイトスネイク(と、キーボードのドン・エイリーが参加していたメタル期ホワイトスネイクの曲とレインボーの曲も演奏。)の曲によるライブ盤と、オリジナル作を発表しました。
が、ちょーどホワイトスネイク再始動と重なったからか、デイヴィッド・カヴァーデイルが「いい加減にしとけよ。訴訟起こすぞ」みてーなことを言いだし解散しちまいました。
まあ、知らねーうちに発表されて廃盤になってたんで未聴ですが、『サーペンスアルバス~白蛇の紋章~』収録の曲までやっちゃうのはちょっとあさましいですね。
しかしながら、引退ツアーでがっかりした僕からすると、スネイクスのライブは「これなんだよ、俺が聴きたかったサウンドは!」っつーもんでした。
Amazonをチェックしたら、九千円近い値がついてましたが、ホント、こーゆー商法止めてほしーですね。
<The Snakes - Walking In The Shadow Of The Blues >
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