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不気味の国のアリス

2010年12月04日 23:49

【前もってお断り】
◆試験的にいずれ開設するサイトを意識しての記事なので、モバイルからはきちんとしたレイアウトで読めないと思われます。(PCを所有していないor使えない環境の方は勘弁!)
◆数分でミュージシャンの軌跡が読める記事ですが、記すエピソード等は、温すぎずコア過ぎずを心がけております。(ほれ、揚げ足とらないでねっつー。)


《はじめに》

 んつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
独断と偏見でアーティストをジャンル問わず採りあげて、思わず聴きたくなるよーな企画第一弾。
あー、どーしましょーかね、まず「あ」、いや、「A」だっつーこってアリス・クーパー。
世代的に僕ぁ『トラッシュ』、『ヘイ・ストゥーピド』あたりを聴きまくったもんです。
ただ、高校生の頃、アリス・クーパー好きの女友達がおりまして、意外と各時代の作品を聴いてることに気づきました。
んなわけで、いってみましょー。

Alice_cooper1970.jpg


《うんこ食う話に何故かアリス・クーパー》

 フランク・ザッパの自伝によると、ステージで彼がうんこ食ったっつー都市伝説が事実無根であると最初に記されております。
ただ、この噂はザッパが知るだけで二通りの説があり、一つはキャプテン・ビーフハートと、もう一つはアリス・クーパーと、いずれも「オエオエ合戦」なるものの末、勝負に出たザッパがうんこ食って勝利したっつーもんだそーです。
キャプテン・ビーフハートは少年時代からの親友ですからわかります。
が、何故、アリス・クーパー?

 一般的に、アリス・クーパーは『ラブ・イット・トゥ・デス』がデビュー・アルバムだと思われがちです。
実は、フランク・ザッパに憧れて、ザッパ主催のレーベルから二枚アルバムをリリースしてます。
ただ、ザッパに憧れていただけあり、特に2nd『イージー・アクション』はアヴァンギャルドっぺープログレッシヴ・ロックとも受けとれ、よほどコアなファンでなければ手を出さねーほーがええです。
1st『プリティーズ・フォー・ユー』は1960年代のフォーク・ロックが好きなしとなら佳作じゃねーですかね。アリス・クーパーの作品っつーのをどっかに置いとくのが前提ですが。

 ワーナーブラザーズに移籍してからがファンのよく知るサウンドやステージになるんですが、社会風刺や批判を歌詞やパフォーマンスで表現するのはフランク・ザッパと共通してますね。
双方ともにインテリジェンスの高さがうかがえますが、アリス・クーパーのが文学的な歌詞を歌ってる印象を受けます。
フランク・ザッパ・アンド・マザーズに加入じゃなく、バンドとしてデビューさせてもらったんですが、師弟関係に近ぇんじゃねーですかね。


《くだらない事に真剣になるといい事もある》

 今世紀に入ってから、戸籍上もアリス・クーパーとしたそーですが、この芸名は元々、嘘八百からはじまりました。
夢の中に度々現れる、十七世紀に存在したという魔女の名前がアリス・クーパーだったからっつーお告げみてーな理由でした。
が、実は「アリスってきゃわいい名前でエグイことしたら、みんなびっくりすんべ?」っつー意図的なもんで、ブレイク前夜的アルバム『キラー』発表あたりから、独自のパフォーマンスをステージで行うよーになってから、これが功を奏したっつー。

 現在はショッキングさよりも演劇性に比重を置いたステージですが、1970年代のステージはかなりぶっ飛んでたよーです。

dead baby写真は色情狂の女とDV男の間に生まれた赤ん坊が、鎮痛剤を誤って飲んで死ぬという、児童虐待を皮肉った歌詞のDead Babiesにおけるパフォーマンスより。
この後、人形は八つ裂きにされる。


ゲテモノちっくなパフォーマンスだけじゃなくてですね、レコード・ジャケットを工夫してたよーです。(リアルタイム世代ではないので未見。)
ブレイクのきっかけになった『スクールズ・アウト』は学校の机なんですが、開くとレコードに紙製パンティが被せられたり、続く『ビリオン・ダラー・ベイビー』は財布を摸したもんで開くと拝金主義を皮肉った100億ドル札が出てきたそーです。
1973a billion dollar babies
んで、くだらねーとバカにしちゃいけねーです。
これらに、そこらの評論家諸氏が絶賛じゃなく、ビッグ・ネームが心酔しちゃったっつー。

 客観的に、デイヴィッド・ボウイに意識がいきそーなイメージがありますが、サルバドール・ダリがアリス・クーパーを絶賛し、ステージで共演してーと熱望。
結局、ステージ共演は実現したそーですが、そのお礼かダリはアリス・クーパーのホログラムを製作したっつー。

alice_and_dali.jpg
写真はお互い知り合って間もない頃のものだが、アリスのスランプ期と同時期にダリが亡くなるまで交友関係は続いていたようだ。




《更なるアリス・ワールド発展の裏にスランプ》

 著名な近代ゲージツ家に愛され、アルバムも有名どころがゲスト参加したりとええ感じです。
1975年にはスティーヴンなる架空の人物をモチーフにしたコンセプト・アルバム『悪夢へようこそ』を発表。
が、長らく悩まされてきたアルコール依存症を治療すべく精神病院へ入院しちまいます。(専門の更生施設や医院ではなく、精神病院であることから、アル中ではなく依存症、病的嗜癖と思われる。)
されとて、芸に生きるしとっつーのはそれを糧にするもんです。
1978年、精神病院で見てきた看護師、患者らをテーマに『閉ざされた世界』を発表。
こり、各曲美しいんですけど、『悪夢へようこそ』と違った怖さがあります。
派手な曲はねーですが、もっと評価されてもええ作品です。

 1980年代に入り、本格的なスランプに陥ります。
こりは1983年発表の『DA DA』まで続きます。
アリス・クーパー曰く「ひどい状態だった」とのことで、確かに1980年代初期の作品は「きっついなぁ」と思うんですが、『DA DA』は隠れた名作だと思っとります。
本人はスランプだったからか「嫌いなアルバムだ」と語ってましたが、僕ぁ好きですね。
ジャケットがサルバドール・ダリで、題名もまんまダダイズムですから難解そーですが、かなりキャッチーです。
フェアライト(音楽製作の機能を色々備えたシンセサイザー的楽器。)を使った、一曲目のDA DAは癖になる怖さですが、I Love Americaとか重厚なサウンドで曲自体もええです。
1983 Dada


《帝王の帰還》

 スランプに陥ったアリス・クーパーは、精神病院に入院しよーがそれまで毎年アルバムを発表してきましたが、彼が影響を与えたミュージシャンが台頭してくる時期になりを潜めました。
が、なにがあったか1986年に「もう、どうなってもええ!」みてーにメタルな作品で復帰します。
1986 Constrictor
既にポップ・ミュージック・シーンは彼を手本にしたミュージシャンが独占しとりましたが、軽薄でアホな当時の空気を読んで発表した『コンストリクター』はシルベスター・スタローン似のギタリスト、ケイン・ロバーツを迎え、映画『13日の金曜日』シリーズに曲を提供しました。
Kane Roberts
んで、1970年代のパフォーマンスの方向性を思い切って変え、フリーキーなマッチョ・ギタリスト、過剰なホラー演出っつー1980年代のど真ん中を突き抜けるよーな映像作品『ナイトメア・リターン』も発表しました。
カメラ・ワークからいくと、今世紀の各映像作品のが優れてますが、くどいですけど、軽薄でアホな1980年代を上手く利用しとる点で中々の作品です。


《これはアリス・クーパーではない。しかし...》

 スランプを乗り越えたと思ったらですね、どーいった経緯かボン・ジョヴィをスターダムにのし上げた立役者デズモンド・チャイルズがプロデューサーになりまして、「これ、ボン・ジョヴィの曲でしょ?」なPoisonやらを収録した傑作『トラッシュ』を発表します。
1988Trash.jpg
この作品にはボン・ジョヴィやエアロ・スミスの面々、TOTOのスティーヴ・ルカサーなんかがゲスト参加しとります。
僕ぁこの頃がリアル・タイムな世代ですから、アリス・クーパーっつーと、こりとこの次に出した『ヘイ・ストゥーピド』のイメージが強いです。

 今世紀に入ってから、アリス・クーパーの旧譜は国内盤が再発されてねーです。
なので、コアなファンって1970年代か1980年代後半から1990年代前半をリアル・タイムで聴いてたしとだと思います。
残念ながら、日本じゃ1994年に『ザ・ラスト・テンプテーション』発表後、今世紀まで沈黙していたからか、今じゃ知名度低いですけど。


《芸能生活四十年。未だ衰えず》

 アリス・クーパーがシアトリカルなステージを行うよーになって四十年です。
フツーならマンネリ化するもんですが、過去の代表曲をツアー毎に組み替えて色々演出を考えてるみてーです。
ファンが聴きてぇ曲が多すぎて、今世紀に入ってからは「半分は演奏、半分は演劇」と過剰な演出は割合が少なくなってきてるみてーです。

 現在は、娘さんが見事に成長しまして、しかも見事にダンスと演技をこなすパフォーマーになりました。
この「この親にしてこの子あり」なステージは2005年にモントルー・ジャズ・フェスティヴァルへ出演したDVDで目にすることが出来ます。
AliceMontreux02.jpg

「オペラ座の怪人」のテーマが終わり威風堂々と現れる帝王。
AliceMontreux01.jpg

しかし、会場は変われど意外や初出演になるこのフェスティヴァル、師匠のフランク・ザッパが伝説を作りました。

 ディープ・パープルの代表曲Smoke On The Waterで歌われとる、カジノの火災がフランク・ザッパ・アンド・マザーズの演奏時に起きたからです。
イカレタ客が使ったのは、火器とも、発火性の玩具とも言われとりますが、とにかく引火してカジノは全焼。
この師匠も出演したフェスティヴァルにアリス・クーパーが時を経て出演っつー。
その後も大規模なフェスティヴァルに出演する等、現在も精力的に活動しとります。
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